【能楽台・檜は生きている🥰】

26日に【堺能楽堂】で、すずめ踊りナイス連《花菖蒲》で舞い納め🐥
初めて能楽台、包み込むような、何とも言えない温かみのある舞台でした。
☆この舞台の木は何だろうという疑問から調べてみましたφ(..)メモメモ

 

能舞台には檜の厚板が用いられているようです。

 

その檜にまつわるちょっとおもしろいお話を…。

東京の観世能楽堂の本舞台は、檜の一枚板が数枚張られていますが、年に2回ほど、専門家により調整が行われています。7月〜8月の高温多湿時期には板が膨張し、上に盛り上がります。そこで、地謡座側の緩衝材を外し、少しずつずらして板と板の間を開けます。反対に1月〜2月の冬期には、板が縮み、隙間ができてしまいます。すると今度は、目付柱の方へ少しずつ板を寄せ、地謡座の方へ緩衝材を入れて調整します。

 

 

伐採され木材となっても、また年月が経っても檜は生きているということでしょう。
その有り様を尊重し、舞台を最上に整えるための努力がなされているのです。

 

 

 

 

 

☆では、鏡板(能舞台の後ろにある板)にはどうして松が描かれているの?φ(..)メモメモ

 

この松は舞台正面先にあると想像される「影向(ようごう)の松」が舞台側に写ったものとされている。影向とは神仏が姿を現すことで、影向の松は神仏が現れるときの依代(よりしろ)となるものです。

 

奈良の春日若宮神社のお祭りの初日、田楽や猿楽などの芸能者が鳥居の傍らにある一本の松の前で芸を披露したが、その松こそが春日明神が影向するという、まさに「影向の松」なのです。

というわけで、舞台後ろの板は影向の松が鏡に写ったと見立てることから「鏡板」と呼ばれるようになったそうです。松は寿の字のような格好だが、鏡板の絵は鏡に写っているという想定だから、寿の字を逆さまにした形をしている。神仏に守られて能を舞うという舞台装置になっているのです。

 

 

この話、室町時代の古い古いお話だと思うとそうではない。

能舞台に鏡板が付いたのは江戸時代になってからのことで、それ以前は吹き抜け舞台であった。一説には、松平氏である徳川幕府が意識して松にしたとの説もあるが、これは夢が無くてつまらない。

 

 

 

やはり神が見ていると思った方が、いい。その方が神聖な気持ちになれます。

神様が見て下さっているから温かいんですね(*´▽`*)💖
素敵な舞台で演舞させていただいて、ナイスファミリーと幸せです✨✨

 

 

 

※ナイスファミリーのカメラマン薫ちゃん📷の写真は、私たちの素の表情を捉えてくれていて
知らない自分を発見することがとても楽しいです😄❣
いつも100枚以上を撮って下さってます。感謝です°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°